バウハウスのユートピア像は、機械的・工業的なシステムと統合された世界という中世的な租念が混在していた。機械テクノロジーと「太陽・緑・空気」という田園都市の共存を目的とした。
ザクセン・ワイマール大公立美術工芸学校(アンリー・ヴァン・デ・ヴェルデ開設)が前身である。同校は、第一次大戦勃発におけるヴェルデの帰国にともない封鎖。その後、ワイマール政府が、ワイマール美術学校(フリッツ・マッケンゼン)の支援を仰ぎ、同校の一部門として美術工芸学校を統合。ヴェルデが前々から帰国後の自分の後継者として依頼していたヴェルター・グロピウスの指導のもと、1919年ワイマール国立バウハウスとして成立。その後、デッサウへの移転(1925)、ベルリンへの移転(1932)を行い、ナチスによって1933年閉校。設立当初は、単なる建築家を養成する造形学校であったが、バウハウスのモダニズムは、極めてアブァンギャルドな性格を持ち、教育運動、造形運動、工房活動などの様々な特性は、後の時代に決定的な影響を与えた。
組織的な活動としては14年間という短期間でありながら、多様な特徴を表す仕事(作品)を生み出した。
グロピウス:バウハウス校舎
(立方体の建物の壁面を細い鉄のフレームに入れたガラスで構成したもの)
ジードルンク:住宅団地・今日の団地につながるシステマティックなデザイン
マルセル・ブロイヤー:キューブ・チェア
ワシリー・チェア:共に金属フレームを採用
ヨハネス・イッテン:オリジナリティーに富む基礎造形教室
ワシリー・カンディンスキー:抽象絵画
ポール・クレー:輝くような色彩を見せる絵画
ハーバード・バイヤー:タイポグラフィー
(マシン・エイジをメタフォリックに表す)
オスカー・シュレンマー:幾何学的なダンス
(電子テクノロジーのイメージにもつながる抽象性を持つ、身体のメカニズムを静かに動かす表現)
ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を想起させるような内容であり、総合芸術として工芸や美術の概念を生み出し、一つの有機的な関係の中に結びつけられていた中世のカテドラル建築をメタファーとして出している。そこには、モダンデザインジェクトは、統一原理を失った時代の新たなる原理の模索という面がある。
グロピウスは、あらゆる職能が統合されて共に作り出す未来の大聖堂というイメージをユートピアとして描いた。そこには、アーツ・アンド・クラフツ的なものと、一方では、マシンテクノロジーのもつ機械的なものと結びついていた。すなわち、機械あるいは工業的なものと、田園的なものとの共存という相対するものとの結合と、機械的なものによる労働の合理化と解放が内在する。W・ベンヤミンは、生産(労働)と消費(生活)は弁証法的な対立関係にあると指摘し、バウハウスもまた、家庭内の生活を消費という面ではなく労働という面でとらえていた。
グロピウスは、芸術は天の恵みによってインスピレーションがはしった瞬間に生まれるのだという「芸術の超越性」を信じていたため、バウハウスでは、芸術を教えることは不可能なことで、技巧を教えることになると考えていた。バウハウスにおけるグロピウスの理念はアーツ・アンド・クラフツとさほど異なっていないし、総合芸術という概念も中世のカテドラルをメタファーとしていた。しかし、バウハウスで生み出された表現は間違いなくアヴァンギャルドなものであった。機械テクノロジーが生み出したシステムを原理にすることと、過去の統一性をもった思想に自らの根拠を求めることが同時に行われてしまうところに、バウハウスの実践の矛盾があった。しかしながら、この矛盾点(理念と実践の奇妙なずれ)こそ、バウハウスのもっている特徴の一つだとも言える。
その時代の感覚、思考、文化を反映し逆に、私達にデザインによる特定の文化の影響を与える。この認識からモダンデザインのプロジェクト(近代のプロジェクト)が始まる。
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つまり、デザインにより現在をどのように意図的に変革していくか。
19世紀における産業社会の進展
→生活環境・精神空間の変化をもたらす。
アーツ・アンド・クラフツ
→生活・環境、つまり社会の変革を目指すプロジェクト
20世紀ドイツのバウハウス
ロシアのアヴァンギャルド等のユートピア志向→これも近代のプロジェクト
30年代のイデオロギー闘争
社会主義、ファシズム、資本主義→それぞれの未来のイメージ
戦後過剰な消費社会を生み出す装置
これらすべて、デザインの根源的なメディア性によるもの。モダンデザインの流れを振り返る必要性の有無。
戦後過剰な消費社会を生み出す装置
これらすべて、デザインの根源的なメディア性によるもの。モダンデザインの流れを振り返る必要性の有無。