ヘルマン・ムテージウスについて


 18世紀になり産業革命がイギリスで起こる。そうすると芸術の面でも変化が

現れることとなった。それは今まで手工技術だったものをそのまま続けるという

事と新しい技術による芸術を造り上げていくという事である。前者を取り上げた

芸術家がイギリスのウィリアム・モリスである。バウハウスがモリスの理念を受

け継いだといわれるのは、この手工芸の重視という事がいわれであると考えられ

る。だが、この理想は後に変革されていく事になるわけである。19世紀末のド

イツでは1851年の第一回万国博覧会(イギリス、ロンドン)の影響により機

械的工業製品が一躍の注目を浴びていた。この時、ヘルマン・ムテ−ジウスとい

うプロイセン内閣の企画庁で建築家として働いていた男がいる。彼は、1896

年から1903年までロンドンのドイツ公使館の建築専門のアッシェで働いた。

彼がドイツに戻り1906年に開催された第三回ドレスデン工芸展ではかつて見

られなかった斬新なフォルムの製品が並べられることとなる。だが彼はまだ満足

できずドイツ工芸が経済的関心に支配されていて、ザッハリッヒな様式が見られ

ないと批判した。これをきっかけにしてドイツ工作連盟が結成されることとな

る。(Das Deutsche Werbund)この連盟は「芸術、工業、手工芸の協調によ

り、当該問題に対する教育宣言および態度表明を通じて、工業製品の向上」を目

的とし、芸術家、工業者、手工芸家、販売業者を終結して、ドイツの工業製品の

品質を高め、もって他国との生産競争を有利に展開することを意図していた。工

作連盟の結成はドイツのそれまでの進取的な歩みの頂点を成すものであり、その

後、優良製品の振興の中心的機関となっていった。ムテ−ジウスは二代目会長と

して第一次世界大戦前の最も重要なメンバーの一人であった。これはバウハウス

ができる十数年前のことである。


   参考文献:バウハウス−歴史と理念  利光 功著 (美術出版社)


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