先日説明したように、ドイツでも工業製品の品質向上に対して積極的な取り組
みが見られるようになってきた。ヴァイマルのザクセン・ヴァイマル・アイズナッ
ハ大公は、手工芸や工業製品の水準を高めるために芸術顧問としてベルギー人の
アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデを招待した。彼は、モリスの思想を継承し推進し
た人物であった。最初、画家として出発した彼だが疑問を抱き生活環境の美的形
成こそが造形家の使命だと考え工芸、建築家に転向した。そこでの彼はモリスと
違い、現代が技術の時代ということを肯定した。そして彼は、「これ以前に知ら
れていなかった美の特有の性質」を研究していった。1897年にヴェルデはドレス
デン工芸展に出展しこれが独自な曲線表現として好評を得ることとなる。こうし
て彼は、Jugendstilあるいはアール・ヌーボの代表者とみなされたのであった。
ヴァイマルに待されてから委託された任務を行うため彼は、1902年私的教育機
関あるいは実験所を設立し、これを「工芸ゼミナール」と名付けた。1906年には
このゼミナールを発展させ大公立工芸学校を設立し、校長に就任した。こうして
ヴェルデは芸術家と製造者との協力を前提に、工房を中心とする教育を推進して
いった。なお工芸学校の校舎はヴァン・デ・ヴェルデ自身の設計によるものであ
り、またこの工芸学校と道路を隔ててほぼ向かい合っていた大公立美術学校の校
舎も、1904年に彼が改築をした。この美術学校は1860年にカルル・アレクサン
ダーにより設計され、1910年に大学に昇格するのであるが、この大学(旧ザクセ
ン大公立美術大学)とヴェルデの工芸学校(旧ザクセン大公立工芸大学)が合併さ
れバウハウス(ヴァイマル国立バウハウス)となった。
ちなみにアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデと前回説明したヘルマン・ムテ−ジ
ウスは、1914年のケルン総会において個人的芸術表現擁護(ヴェルデ)と製品の規
格化推進(ムテ−ジウス)という関係で対立することとなる。(内部イデオロギ−
対立の表面化)だがそれが、ヨーロッパにおける近代工業デザイン思想の出発点
となったことは言うまでもない。
参考文献:バウハウス−歴史と理念 利光 功著(美術出版社)